留学経験者の話を鵜吞みにしてほしくないと思う理由

 

 語学堪能、というと、どういった種類の人間を想像するかといえば、留学帰りと帰国子女の二つが並ぶのではないだろうか。

 

ただここで、留学と帰国子女はかなりベクトルが違ってくると主張したい。

 

留学させるのと子供のうちに親の事情で連れていくのとでは、そもそも得られるものが何もかも違うのだ。

 

最大の要因は、関わる人の違いだ。

 

留学生というのは、まず、受け入れ先の先生や他の生徒と関わる。

留学生を扱う先生は、外国人との関わりのプロである。

つまり、英語が出来ていない日本人や、成績だけは優れている日本人がどのように英語を理解しており、どのような性格や考えかたで、留学に何を期待しているかをしっかり把握している。実際には理解してもらえない説明や、実際には使わない言い回しをしてしまっても、彼らは理解してくれるのだ。

 

他の生徒は、それぞれの国から、異国で学ぶ意思を持って来ている。

いままでの常識が通用しない環境に身を置いている自覚がある。

従って日本人が日本人として振る舞う様子を見ても、客観的かつ好意的に受け入れる頭脳と冷静さがあるのだ。

 

そういった、整備された環境に無自覚なまま、「これは海外で通用する」と情報を流してしまう留学経験者は少なくない(もちろん有益な情報も多い)。

 

留学帰りの先生や友人の話を聞くときには、そういった状況を想像した上で情報を取捨選択されたい。

スクールマニーについて

 

アメリカの小学校にはスクールマニーという制度がある。

その名の通り、学校でのみ通用する通貨で、その細かな流通については担任の先生の裁量によるが、基本的にはご褒美制度といってよいだろう。

 

私が記憶する限りのケースをリストにしてみる。

 

【収入】

・重めの課題を早く終わらせた

・州の名前テスト満点

・誕生日

・隣の生徒がぶちまけちゃった鉛筆削りカスを一緒に拾った(レアケース)

 

【支出】

・お菓子を貰う

・ソファーで授業を受ける

・態度が悪い

・やらかした

・トイレに行く(厳しい先生)

 

基本的に、善い行いをしたり良い結果を残せばもらえて、

悪いことをしたりご褒美を貰うときに使われる。

 

また、二人で話し合って合計を二人で使うことも出来るが、そこでがめてしまったことはずっと後悔している。

アメリカの学校の休み時間

 

 アメリカの学校の休み時間について。

 

 朝の10:00代からのsnack recessとお昼の12:00くらいからのlunch recessの二回がある。

 

 日本の感覚で聞くと、小刻みに休憩がないのは集中が続かないと危惧するかもしれないけれど、そもそも授業の形態が違うのでその心配はご無用。

 

 日本の授業は、授業時間に先生が教科書に沿って話を進め、生徒に教科書を音読させたり問題を解かせて答え合わせをするが、アメリカの場合はその問題を解いたり文章を一人で読んで回答を記入する時間の方が長い。先生は時々、全体もしくは個人個人に助言したしていくのでェックしたり、掲示物を更新したりしていて、なんだかんだで忙しそうだ。

 

 そんな訳でそれぞれがそれぞれの作業をしていて、ときにはあくびしたり、机を整えたり、首を回したりしているので、常に人の話を聞く体制でいる必要がないし、少し気を抜いたら取り残されてしまうということもない。

 そういう状況だと、短い休み時間で休んだ気にならない方が忙しく感じる。移動教室のせいで休み時間が削られるという感覚もない。

 

 こういった休み時間の違いも、授業の都合から来ている。

海外情報を仕入れるときは、部分的なものだけでなく全体の流れを知ることで想像がしやすくなり不安が解消されるだろう。このブログでは、アメリカの学校生活について随時更新していくので、応援よろしくお願いします。

 

帰国子女という呪い

 

 私は帰国子女だ。

父親が毎週末東京の予備校に通うようになってからしばらくして、アメリカ行きが決まった。知らされたときの感情は特になかった。今までも父親の仕事の都合で自分の世界は変わっていっていたし、周りの同世代達もそうだった。何を思ったところで仕方ないのだ。子供とはそんなものだ。

留学や就職とは違い、自分の意志とは関係なく渡米する。

それは単に語学力の向上や豊富な経験を期待して憧れるだけでは済まない、正とも不とも取れる遺産が残ることになる。

 

母国語を負担に思う人

語学力が原因で内気になる人

どちらが得意とも言えず気持ちを言葉に出来なくなる人

語学力で誰かに負けることに怯える人

頑なにどちらかを使おうとしない人

 

帰国子女という言葉に対する期待が、特別な才能や遺伝子を持つわけでもない普通の子供の不安やコンプレックスになる。

 

すべての帰国子女ないし二つ以上の言語と共に育った人達が自分らしく生きて欲しい。

 

私はこれからも、英語はギャル語を話す。

バカっぽいだの、田舎臭いだの言っても、それが私。

新しい目標ができない限り、このままでいる。

 

kinda like that.